アーセナル回想録(選手編#2)

アーセナル最大のロマン

回想録選手編の第二弾とやりましょうか。前回はエジルをやって大作となってしまいました。どうしても思い入れの強い選手だからね、そうなっちゃう。

さて今回は誕生日で選びました。ただ5月生まれって結構多くて、フレブ、セスク、ベルカンプ、ラカゼット、イウォビ・・・まじ迷うけど決めました。

ある意味最も”アーセナルらしい”選手。最高のポテンシャルを秘めながら、怪我に泣かされる選手が多くいたが、その中でも最も色濃いあの人です。

アブ・ディアビ

アーセナル最大の未完の大器を振り返ります。

アーセナルでのスタッツ

シーズン試合数ゴール数アシスト数
2005-061611
2006-071811
2007-082842
2008-093642
2009-104075
2010-112023
2011-12500
2012-131501
2013-14100
2014-15100
合計1801915

獲得タイトル

  • FAカップ 2回(2013-14、2014-15)
  • コミュニティ・シールド 1回(2014)

圧倒的な負傷歴

怪我といえば現在のメンバーで言うと、冨安とかトーマスのイメージがあるけどディアビはそんなレベルじゃない。

アーセナルに在籍していた10シーズンで実に42回の負傷離脱、3339日で1555日が離脱期間に当たるそうで、まぁなんとなく半分はいなかったってことになる。

ディアビは自身の怪我をこう語る。

(フランスで)僕のことを『ロム・ドゥ・ヴェール』と呼ぶんだ。それは、僕がガラスで形成されているという意味だ。それは精神的に辛い。彼らは、僕がどれだけ人生で毎日、回復に努めているか理解していない。でも、何ができるっていうんだ。これは僕の人生の物語だ

Abou Diaby

中でも大きい離脱は、上の写真の一番右下2006年5月の「足首脱臼骨折」か。07-08から見始めた自分の思い出にはないが、タックルを受けた瞬間はディアビの悲鳴など、その惨状は酷いものだったそう。

ヴェンゲルは「選手を傷つけるというただ1つの意図しかなく、キャリアを脅かすようなタックルだ。どこまでやれるか、法的アドバイスを受けるつもりだ」とブチギレ。

その瞬間の映像とかは相当グロいから控えるね。

もちろん、あれが全てを殺した瞬間だった。あの負傷は、僕の足首に規制を強いた。体の他の部分においても、それをかばうための過剰な力が必要になった。それ以前には、筋肉系の負傷はなかったんだ。ライフスタイルは良いものだった。

だけど、僕は本当にそれへの怒りはないんだ。昔のことだしね。ただ唯一、『キャリアの終盤だったら』とは思うかな。28歳のときならね。19歳から27歳のときは、成長できるときだろ。毎週プレーして、成長したかった。

Abou Diaby

自分がディアビを認知した時には小さな怪我を繰り返していて、2013年には練習中に前十字靭帯を断裂し、アーセナルでのキャリアのトドメを刺すような重傷を負った。

40試合出れたシーズンもあったが、年毎に耐久性も落ちていた。長らく背負った背番号2も24に変わり、ディアビがアーセナルのプーマ時代のユニフォームを着ているイメージがない。

しかし何度怪我をしても、明るい性格でリハビリを耐え抜きピッチに戻ってきた。ファンはそんな姿にロマンを感じ、みんなディアビが大好きだった。

たらればを許してください

ifの話はサッカー界においてタブーなのは分かってるけど、ディアビの話をする時だけは大丈夫っていう暗黙の了解があります。今決めました。

よく「ヴィエラ二世」と例えられたが、ディアビにはとてつもないポテンシャルがあった。

191cmの長身、長い手足を生かしたストライドの大きいダイナミックなドリブル。これが発動した時にどんどん相手を置き去りにしていく姿は「チョーキモチイイ!」って北島康介が言ってた気がします。

あのポグバもディアビへの憧れを口にしたんです。

「自身より優れていると思うMFは?」という問いに

イニエスタ、モドリッチ、トニ・クロース、デ・ブライネ、ダビド・シルバ。それとディアビだ。みんな彼のことを忘れているかもしれないが、ディアビはアーセナルで並外れていた。ボックス・トゥ・ボックスのMFとして、僕は多くのことを彼から学んだ

Paul Pogba

前四名が大レジェンドすぎて流石に名前負けがエグすぎるんだけど、ポグバのプレースタイルを見ると納得。ジダンとかヴィエラじゃないのもポイント高いね。

若い頃は雑な部分もあった、07-08の時はあんま好きじゃなかったかも(ただロシツキーが見たかっただけのクソガキ新規サポ)(ボルトン戦の足裏タックル退場とかね)

08-09辺りからパスを覚え、得点も増え、徐々に完成された中盤になっていた。体格を生かした守備も精度を上げていた。

09-10は完全にスタメンに定着しBtoBプレイヤーとして堂々たる活躍を見せた。この2年間はディアビにとって最も充実したものだった。たった2年てのが虚しすぎる。

※詳細はベスト・オブ・ディアビで!!

本当に怪我さえなければ、ヤヤ・トゥーレになれる素質があったんだよ!本当に怪我さえなければ!

孤軍奮闘の南アフリカ

今でこそ最強のフランス代表も、2010年の南アフリカW杯は超悲惨でチーム内の不協和音なんかも報じられていた。

そんな大会で一人違いを見せていたのがディアビだった。09-10(珍しく)充実のシーズンを送り勢いそのままに大会へ臨んでいた。

しかし、一人の力ではどうにもならず、フランスは未勝利でグループリーグ敗退。ディアビにとって絶好のタイミングでのW杯は、チームワークもクソもない組織の前に霞んだ。

ヴェンゲルとディアビ

彼は教え子の個性を理解し、成功に導いてくれる人だ。そして僕にとって最も重要なのは、彼が僕を信じてくれたこと。彼は僕を理解してくれた。そして、とても辛抱強くいてくれた。ケガの問題を抱えていた時、彼はいつもそこにいてくれた。彼が僕のためにしてくれたことに対し、感謝してもしきれない。

Abou Diaby

これはディアビが引退に際してヴェンゲルについて残したコメント。

グーナーの間でも、ディアビのそのポテンシャルを知っているからこそ諦めきれない声も多かったが、その負傷の多さに残しておくことに疑問の声も同様に多かった。

ただ、どんなサポーターよりもディアビを信じ続けたのは恩師のヴェンゲルだった。

ヴェンゲルは多分ディアビを中盤の底に据えるイメージをしてたんだと思う。若い選手に対する先見の明に長けてるヴェンゲルにしか見えないディアビの明るい未来があったはず。

だからこそ最後まで諦めず信じてたんだと思うな。

君は残念ながら、持っている才能のすべてを表現することはできなかったかもしれない。しかし、これからの人生においては君が必ず成功できると信じている。

Arsene Wenger

ディアビのコメントに対してヴェンゲルはこう返した。

二人の物語はまだプロローグの段階で思わぬ方向に行ってしまった。ディアビはディアビなりに、ヴェンゲルはヴェンゲルなりにハッピーエンドに向けて修正を図ったが、現実は残酷だった。

それでもディアビが我々に魅せてくれた、数々のロマンは今もなお彼のプレーのようにダイナミックに輝いている。

ベスト・オブ・ディアビ

湿っぽいのはキライでね

ディアビが凄かった瞬間でも見ながら、乾杯しましょうよ!

・2012-13 プレミアリーグ vs リバプール

アーセナルがアンフィールドで勝利を挙げたのはこの試合が最後。ディアビはこの試合で得点もアシストもない。しかし90分間圧倒的な存在感を発揮。アンフィールドを完全に支配した。

おそらくヴェンゲルがディアビに対して抱いた理想の形がこの試合だと思う。「強い」「速い」「上手い」の三拍子を遺憾無く発揮している。

圧巻なのは1:20〜のプレー。ボールを受けて前を向くと独特のステップでグレン・ジョンソンを交わし、追うシャヒンも追いつけないストライドの大きさ。最後は丁寧なラストパス。これぞアブ・ディアビここにありというプレー。ジルーの腰が回らなすぎたのが残念。ギブスが激おこなのも頷ける。

・2009-10 プレミアリーグ vs アストン・ビラ

センターサークル付近でドリブル開始。相手DFのギャップを縫うようにボールを運ぶディアビ。この「ヌルドリ」こそディアビ最大の武器。イニエスタを彷彿とさせる完璧なドリブルのコース取り。狙い澄ましたコントロールショットも最後までエロスが溢れていました。

・2008-09 プレミアリーグ vs アストン・ビラ

なんかビラ専用機みたいになっちゃうけどたまたま印象的なゴールがビラなんだね。自陣でボールをキープすると、華麗なターンで相手を剥がす! このターンはディアビらしさ全開で、その後エブエにボールを渡すとゴール前へ猛進。再びエブエからパスが来ると、GKとの一対一を制しサポーターと喜びを爆発させた。BtoBの教科書のようなダイナミズム

・2008-09 プレミアリーグ vs エバートン

ディアビがパスも出せるようになったことを証明した瞬間。ファン・ペルシーの見事なプレーをお膳立てした完璧なロングパス。セスクという最高のお手本の近くで色々吸収したんだろうなとか、ディアビの成長が感じられた。

キャリアの半分を棒に振ることになったが、残りの半分ではサポーターたちに怪我のイメージなど簡単に忘れさせてしまうほど濃厚な思い出の数々を残してくれた。

それが、アブ・ディアビなんだなと。

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